● 治療の主役は患者本人であり施術者はサポートです。良くなるのは意識的、無意識のどちらにせよ患者当人の回復力と意思があるからで、それなくして治ることは難しい。施術者はその「良くなりたい」という意思、行動、反応を後押しし、目的を果たすよう患者を全力でサポートすること。
● 年齢を重ねても、体が自由に動かせる、年齢を重ねるたびに心身が楽になる技や知恵を身につけ、生涯元気で楽しくすごせる身体創りをサポートする。
●不調の解消そして健康の維持増進を、近代医療では不十分な側面から研究し、医療全体の質と効果の発展に寄与すること。それらを通じて人の能力の向上や、可能性を高め、幸せな日々を過ごせるよう努力すること。
通常、病気や怪我その他の不調に対して、病院で治療を受けます。それで良くなればいいのですが当院に来られる方には、そういった治療を受けても良くならなかった、という方が多くあります。
医療の発達した現在において、薬も最新機器も使わない当院のような手技療法がそのように近代的な治療より優れているというわけではありません。そもそも当院の施術は治療ではないともいえます。
施術の客観的な効果は、筋肉等のバランス調整、骨格のゆがみの解消、血行の促進や体の硬さをゆる身心のリラックス効果などです。それは他の療法、施術院でも行うことであり、一部はマッサージ機でもできることです。
なぜ病院でよくならなかったのか。そして、病院で良くならないものが、どうしていっぽ自然整体院はそれを改善解消できるのか。この疑問を持たれるのは当然のことです。
手技だけしか使わないのに、病院よりも効果がある、、、?だまされているか?よくいうゴッドハンドなのか?、、、どれでもありません。私は詐欺師でも神でもない普通の人です。じゃあ、なんで?
当たり前のことをするからです。「当たり前」のこと、、、、、
それがいつの間にか自身の中で、別のものに摩り替えてしまっている、当たり前だから特に気に留めないでいる、、、わかりやすくいえば、身体に針をさせば痛いのが当たり前、それを「針が刺さると痛いので何とかしてほしい」ということに疑問をもたない状態にいる。または針が刺さっていることに気づかない。
極端なたとえだったかもですが、多くの不調は原因があるはずですがその原因を、自身でちゃんと認識し、しっかりと向き合えば改善解消するケースが多々あり、問題は、しっかりと原因を認識できず、原因に向き合うことを無意識に逃げてしまうことです。
上記のたとえでいえば、針で体を刺さないこと、または、針を刺せば痛いのは当たり前だということに気がつくこと、または、針が刺さっていることに気づくことです。
ここまでの話自体、「当たり前」のことを言っているだけです。
ところが、この当たり前のことをなぜかできない、なぜか忘れてしまう、できないことに気づかない、、、でも、それが私を含め普通の人間なのかもしれません。
その「当たり前」なことに皆さんと一緒にあらためてしっかり向き合い、認識し、行動することで心身を良い方向にむかわせようとするのがいっぽ自然整体院の根本的考え方です。
病院では、そんなことはしません。いや、したくてもできない、やりにくいのかもしれません。なぜなら、病院は治療するところであり、「当たり前」のことは、自分でやることで、治療ではないからです。その「治療ではないこと」を病院ではできないから、その部分の対応を整体として行うことで、当院のいわゆる治療としての効果になってしまうのだと思います。
施術はその「当たり前」を認識するための方法でもあります。
その手技から自身の問題を見つけ、認識し、ならばどうこれから行動するかが、治療といわれる効果となるのだと思います。
この当たり前に該当する不調の原因の一つが心身の緊張と疲労の蓄積です。そんなこと?と思うかもしれません。ところが、心身の緊張を自覚できない、自覚できていると思っても実際はできていない、自覚できても、コントロールできない。なぜそうなるかがわからないのでまた同じ問題を繰り返し、蓄積してゆく。
しかし完全に心身のコントロールができる人はいないと思います。ただ、ある程度は、今よりもうまく対応できるだけでも大きな違いになってくれます。
当院の手技による不調の解消や健康の維持増進の効果は、客観的に,単純にみれば心身のリラックス効果と血行の改善、身体のバランス改善でしかありません。これら効果は科学的な検証を探すまでもなく、有効な効果です。療術の理論は、ツボ、経絡、気、宇宙エネルギー、ホメオパシーやリフレクソロジー、骨格、骨盤のゆがみが根本原因とする理論など多種多様ですが、そういったことは巷の数あるリラクゼーションサロンとか激安マッサージ店でも同じく良い効果を出すこととなります。良い効果ということには、「そうです。」と言えます。ただし、適切にできるか、良い効果の大きさに差があるといった違いはあります。
つまり、効果は同じリラックス効果やバランスや血行の改善でも、その適切さ、質の違いというところが施術院、施術者の違いといえます。
また、リラックスする、ゆるまることだけで不調がすべて解消できるわけでもありません。
筋肉はゆるまるだけでなく、縮まる、緊張することで体を動かします。強弱併せ持って正常であり、体を動かすパワーも必要です。リラックス自体は重要なことですが、パワーも大切です。そのパワーを出すためにリラックスが大切なので、リラックスはパワーを出すためでもあります。単純にリラックス効果だけを求めるのでは不十分でありその両者のバランスの乱れは不調となって現れます。そのバランスが崩れることで不調を起こしているので、ゆるめる、鍛えるの両面からバランスを取り戻すこととなります。
無意識的な治す力を高めることと、
意識的な治す行動をすること
当院の施術は、まず、血行の改善や心身のリラックス効果と、筋肉の柔軟性と力の回復で身体のバランスを整えます。
その中には様々なものが含まれています。血行の改善は体のゆがみの改善が必要であり、体のゆがみは、骨盤、脊椎(背骨、首、仙骨)や肩甲骨、あご、頭蓋骨、手足指ほか各所の関節などの調整が含まれ、そのゆがみの調節のために筋肉のバランスの調整が含まれます。
筋肉の調整のためには疲労の解消、血行の改善、緊張解消、柔軟性の改善、筋力の回復が必要であり、また、患部だけでなく体幹、全身のゆがみや、筋肉、骨格、内臓、神経へと全身へのアプローチが必要になります。さらに血行の改善には、リラックス効果と活動も必要です。それには心、精神的アプローチも必要となりますし運動も大切です。それらによってご自身の回復力を高めることで、無意識における治す力を後押しします。
自身での自己療法的なストレッチや体操、生活や作業、仕事での身体の使い方、さらには心、感情のコントロールも手技とは別ですが重要なものとしてそのアドバイスが施術の一環となります。自己療法も上記のゆがみ、筋肉のバランス、ゆるめ、部分と全体、リラックスと運動、そして血行に留意して行うわけであり手技と同じ目的をもったことを、意識的に自身で行うことでそれらの技術、知識知恵を身につけてもらいます。手技は自己療法の感覚の体験と、感覚や知識の習得であり、自己療法は手技での感覚を繰り返し、それを自身のモノとする練習で自分で自分を治す、コントロールすることとなります。
様々な要因が相互に関連、影響しあっており複雑に思えることですが、一つ一つは単純なことです。一つ一つをしっかりと、そして総合的に見直して、自身の心身の健康維持増進に、自身で不調の改善解消に、さらには、健康長寿にと、目的をもって行うのがいっぽ自然整体院の施術です。
今日、整体をはじめ民間の療術は様々な種類、理論、流派があり、とても統一できるものでもありません。国家資格でないゆえに自由にいろんな視点から工夫、研究、発展してきています。
かつて、オスグット病という成長期の子どもに多くある膝下の疾病の治療として、病院での治療は無意味、悪影響を与えるものがされてきました(隆起した骨にドリルで穴を開けたり、電気を当てたりしていました。)。今は筋肉の柔軟性を改善するなどで解消できることが認知されていますが、それを先んじて提唱、実践していたのが民間の療術である自然形体療法でした。数々の症例で解消実績をあげ、他の各種手技療法でも広まり、その考えは現在、病院医療でも認めざるを得ないこととなっています。
また、腰痛や坐骨神経痛の原因として椎間板ヘルニアや脊柱管狭窄症などと診断された場合でも、手技療法での筋肉的な問題の解除によって症状を解消することもよくあります。この場合はヘルニアや神経圧迫が必ずしも原因ではないこともあることを示しています。
近代医療も民間の療術も、ともに身心の健康、不調解消を目指すものです。ただ、役割や得意とするものに違いがあります。近代医学の進歩発展はどんどん成果を上げていますが、見落とされていることもあり、そういった部分を補っているのが整体などの存在意義といえます。
時にはオスグットの例のように近代医学の常識を変えることもあります。今後もあくまでも補完的な立場ですが医療の発展の一助として社会に貢献できるよう研究、研鑽してゆきたいと考えています。
いっぽ自然整体院の理念に
「年齢を重ねても、体が自由に動かせる、生涯元気にすごせる身体創りをサポートする。」という項目があります。
これを細かくいえば、
歳をとることでより楽に体を使えること。
歳をとることで心身ともに生き生きする。
そういう心身を自身で創ってゆく。ことを当院は目指しています。
常識から言えば、歳をとって衰えてゆくのが当たり前です。
しかし、この常識がはたして正しいのか?と考えたことがありますか?
何の疑問も持たずに「当たり前だ」と考えもしていないであきらめているのではありませんか?(「なにを馬鹿げたことを言ってるんだ。」と言われそうですがまあ、そんな馬鹿なことを真剣に考えているやつがいても害にはなりませんのでご容赦ください。)
歳をとることで若いころのように体が使えなくなる、疲れやすい、怪我をしやすい、痛くなるなどの不安をあおり、テレビコマーシャルや新聞雑誌広告ではそれを防止しましょうという健康食品、薬、健康器具などがよくあります。
これらは若さを保つ、老化を防ごうという考えは良いですが、(不安をあおるのは問題アリですが。)当院の考えは、考え方、モノの見方、そして行動を、若いときとは別のやり方で体を使うと良いのではないかということです。
実際に「これ」が有効なのかは今後自分自身の心身で証明してゆくので検証されたことではありません。「これ」を実践し、研究し続けて私自身が健康で、100歳、120歳、150歳と元気に生きてゆくことが検証となり、できればその仲間を増やしていくことで効果の検証を確かなものにしてゆくこととなります。
スポーツなどでは上達するために筋肉を鍛える練習は当たり前にやっています。体がいうことをきかない、膝や腰、肩が痛む。関節の動ける範囲が狭まる。脚がふらつく、つまづきやすい、すぐ疲れる、、、、そういった高齢にともなうからだの不安からも筋肉を鍛えることで解消しようとトレーニングジムなどに通ったり病院ではリハビリとして筋肉トレーニングなどが行われてもいます。
つまり、自身の筋力維持、強化で体の機能を保とうとします。筋肉維持、強化も自身の能力ですから、当院の理念にある「自らの力を向上、回復させることで、健康を取り戻す、健康を維持、増進するサポートをする。」とも一致しますが当院が重要視するのは筋力だけではありません。当院で体を使う際に重要視するのは筋力だけでなく脱力です。
当院の理念に挙げています「自身の能力」は筋力だけではなく筋肉をコントロールする感覚です。
感覚をさらに向上させることで筋力以外の力を自身の身体操作の力にします。
感覚というのはまず、力を抜くことを意識的に、そしていままでよりも、ちゃんと力を抜けるように感覚を磨いてゆくこと。それを体の重心、バランス感覚を磨いてゆくことにも活用してゆくこと。
これまで、この重力に負けない、逆らうことに筋肉を使っていたのを重力を利用、味方につけて体を使うようにします。重力、つまり「重さ」を使って体を動かすことは、ある程度、皆、日常的にやっています。ただ、それがあまりにも日常で当たり前すぎるためなのか無意識にやっているせいなのか、それをしっかり、ちゃんと、意識的にはまずしません。
無意識に重力を使っているけど、無意識に重力に抵抗もしている。だからなのか、いつも無駄に重力に抵抗していても気づかない。いわゆる「力んでいる」状態で固まっている。
力んでいるから疲れる、動きにくい、そうしたことの繰り返しで血行不良や体の硬さ、痛みにつながゆく。老化はこれらを糧に進行してゆくのかもしれません。
若いうちは、筋力、回復力があり、あまり必要を感じさせないことです。しかし、歳をとるうちに、次第に筋力や回復力が衰えてゆき、それが当たり前と納得してあきらめ、さらに衰えを加速させてゆく。
今若い人も年齢を重ねて行きます。
みな、歳をとり、衰えてゆくだけというのが、当たり前なら、歳をとったときには絶望しかないとなる。でも時間、老化は刻々と進行する。
確かに当たり前な亊ですが、すべてが当たり前ではないと私は思います。時とともに衰えてゆくものがある、反面、時、歳とともに成長できるものがある。
それが感覚や感性であり、それを活用して衰えてゆくところをカバーしてゆくことでより健康に生き続けていけるのではないだろうか。そういったことも追求しています。