健康とは②

健康のその先

健康の定義としてよく引用されるのは1947年に採択されたWHO(世界保健機構)憲章前文です。
“Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.”(健康とは、完全な肉体的、精神的および社会的福祉の状態であり、単に疾病または病弱の存在しないことではない)※1951年6月26日に条約第1号として公布された当時の定訳。日本WHO協会
その後、日本WHO協会では、「21世紀の市民社会にふさわしい日本語訳」を追及した結果、現在、以下の日本語訳を仮約として作成し、掲げています。「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます」
1998年の第101回WHO執行理事会において、「spiritual(霊的)とdynamic(動的)」を加えた新しい健康の定義が検討されました。賛否両論があったのですが、第52回世界保健総会(WHO総会)の議案とすることが決定されました。そして、WHO総会で審議した結果、採択が見送られました。

健康の定義、概念も時代とともに変化してゆくでしょう。様々な言語、文化、歴史を持つ各国、地域の考えを一つにまとめるのは難しいことと思います。
spiritual(霊的)という概念は、魂とか霊魂、ゴーストとか、他様々な宗教観、世界観で捉え方は違うでしょうからまさに相当の相互理解、議論なくして定義に加えることは出来ないとは思います。
しかし、人類の進化、科学の発展から、いつかは霊的な概念というのかその未知の概念も理解出来るときが来るのかもしれません。

しかし、なにゆえ私たちは健康を望むのでしょう。
その点は世界のどの国の人も、同じなのではないかと思います。
健康である状態はまさに幸せなことだということです。
人は「幸せ」を求めて心身の健康をその前提にしているのだと思います。心身を良好にして幸せをつかもうとしているのだと思います。
自身の幸せ、大切な人の幸せ、
そんな幸福な生活を、社会を、世界を現在そして未来においても継続してゆくことを人は究極で願っているのではと思います。

ところが、人類の歴史は自身の幸福、自身の属する組織、国家の幸福を求め、他者の幸福を踏みつけてきました。奴隷制度、植民地政策、領土やエネルギー資源の奪い合いなどを行ってきました。
しかし、このままでは自身の幸福どころか、人類の滅亡に進みかねません。
それは個人でも同様に、個人主義が行きすぎれば格差が拡大しやがては人類の歴史が示すような既存社会の破壊、社会の変革、革命になるのかもしれません。その変革がこれまでの歴史にあった悲劇的悲劇的繰り返しでないことを祈ります。

まだ、時間と経験が人類には必要なのかもしれません。国家間の亊どころか、個人の身近な人間関係でさえトラブルが多く感じる今の世の中です。人類は、人は、これからも同じ過ちを繰り返してゆくのでしょうか。人権の尊重、差別をなくす、平和を求めるなど歴史、経験から学習しそれでも、少しずつ良い方向に進んでもいます。これからも少しずつ、一歩ずつ、個々の意識が変わり、社会も良い方向に変わっていると信じたいです。

国際社会においては科学、文明の発展は他国との距離を縮め、世界はお互いが影響し合う関係になってきました。経済、食料、環境問題、国防ほか自国だけではもう対応できなくなっています。自身、あるいは自国の幸福のために、他者、他国の幸福も同時に実現できる世界が、社会が、これからは必要なのです。
そのためには様々な言葉、文化、歴史、考え方、宗教をもつ世界のコミュニケーションがさらに発達し、人と人の交流を通して理解しあえる関係が必要だと思います。
科学、技術が発達すると同様に、人の心、優しさ、理解しあえる能力も発達してゆけると思います。

健康は心と体、そして社会的にも満たされた状態、そういう状態を実現できる社会、世界。それを望む人、、、

健康と社会

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コメント

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